90年まえの大福帳の謎、判明!
社長です。
昨日ご紹介した大福帳の謎が解けました。
文具屋なのに、玄米が取引された大福帳が倉庫から出てきた件です。
今朝、母から電話があり、思い出したみたいです。
私の母は、有田町蔵宿の出身ですが、実家は作り酒屋(西山酒造場)でした。
当時、「吉野(よしの)」「正成(まさしげ)」「菊水(きくすい)」という銘柄の酒を造っていたそうです。
私の母方の祖父は明治35年生れ。
大福帳が書かれていたのは大正11年。
という事は、祖父は20歳ごろです。
その頃は、たぶん大学で醸造学を学んでいた頃ですから、曾祖父の字かもしれません。
酒作りには、大量の米が必要です。
そのお米の取引の記録がのっていたわけです。
でも、なぜうちにあるのか?
それは、昭和の終わりごろ蔵宿の旧道にあった母の実家の酒造場を解体するときに持ってきたものでした。
それを、思い出し、私に電話してきたのでした。(笑)
この事をきっかけに、母から昔話を聞くことが出来ました。
母の実家が、戦時中に色々なものの道具の拠出で酒造りが出来なくなった話。
戦後、昭和31年ごろに、酒造りを復活したが、その後、西松浦郡の酒屋が合併し「春秋」という酒を造っていたそうです。
そして、春秋が解散して各酒造場でおのおが酒をつくりました。
その時、西山酒造場は、酒造りをやめました。
現在、伊万里や、旧西有田町にある造り酒屋さんは、今でも続いています。
いい酒は、いいお米から出来る。
地元の造り酒屋さんは、いい日本酒を作っておられます。
オリンピックも東京に決まった事ですし、日本のお酒を世界に広がるチャンスかもしれません。
佐賀県人は、「日本酒で乾杯!!」です。