人生を変えた時刻表
社長です。
ハヤタの店頭には、文具屋ですが書籍や雑誌を少し陳列しています。
そこに並べているJTBの時刻表(月刊雑誌)を久しぶりに手にとりながめていると、
昔のことを思い出してしまいました。
じつは、私はかくれ「鉄ちゃっん」です。
元(もと)、と言った方が正しいかも知れません。
「鉄っちゃん」とは、鉄道ファンのことです。
ひと言で鉄ちゃんと言っても、その中には色々な人種(専門分野)がいます。
撮影マニア・車両マニア・乗りつぶしマニア・旅マニア・鉄道模型マニア・・・などなど。
また、全国のJR鉄道の路線を乗りつぶし、私鉄や路面電車、地下鉄まで制覇しているマニアもいます。
私は、お金がないので、時刻表マニアです。
小学校4年の時、父親から時刻表の見方を習いました。
それから、ヒマさえあれば、時刻表の路線図とダイヤをながめていました。
いわゆる、卓上旅行、空想の旅行です。
たとえば、伊万里から北海道の根室まで何時間で行けるか、夜行、特急、など効率よく行く方法は? など、1人でやっていました。
小学校5年ぐらいのときは、初めて一人旅をしました。
とはいっても、隣りの松浦市までの往復です。
片道30分の旅です。
松浦駅について、駅の周辺を一回りして、おしっこをして返ってきました。
6年の時は、もう少し遠いところへ行こうと挑戦しました。
そのころは、時刻表さえあれば1人で全国どこへでも行けるという自信がありました。
中学生になると大人料金になるので、子供料金最後の年齢です。
その計画とは、
伊万里~平戸口~佐世保~諫早~長崎=急行平戸号
長崎~肥前山口=急行出島
肥前山口~有田=急行弓張
有田~伊万里=各駅停車 です。
伊万里を10時ぐらいに出発して、夕方帰ってくる計画です。
その計画を実行すべく、母親に言いました。
そしたら、母が「あいどん、そいぎ、私もついて来っ。」
1人で行きたかったのですが、まだ小学生だということで
心配したのでしょう。ついて来たのです。
今から思うと、たぶん、商売している家に嫁いできた母は、休むひまもなく働いていましたので、息抜きを一人息子としたかったのかも知れません。
思い出に残る小さな旅でした。
それから、中・高の6年間は、剣道部に入り硬派な生活を送っていました。
私の人生を変える転機がおとずれました。
それは、高校を卒業し、東京のJ大学へ進学して、入学式のキャンパスでの出来事です。
新入生を獲得すべく、各クラブは、メインストリートにブースを出し、勧誘しまくります。
そのとき私は、時刻表がのったチラシを渡されました。
「旅と鉄道研究会」とあります。
剣道部に入るつもりでしたが、このチラシをもらった瞬間、考えが変わりました。
「ここに入ろう!ぼくの為のクラブだ!」と思い、迷わず即決で入りました。
と言うわけで、この出来事は、私の人生を変えたターニングポイントでした。
大学での「旅と鉄道研究会」の話は、後日ご紹介します。